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ブハラ / Bukhara
かつてはブハラ・ハーン帝国として栄え、実に2500年以上前から長い歴史を持つ古都です。13世紀にチンギス・ハーンに破壊された後、16世紀に復活を遂げました。「聖なるブハラ」と呼ばれ、かつて全イスラム世界の文化的中心地として栄えたブハラ、当時の面影がそのまま残ったイスラム色が濃く歴史的なイスラム建築が並んだ街並みは、まさに「タイムスリップ」。街歩きで中世と当時のイスラムの文化を存分に感じることができます。ブハラには、ペルシャ系のタジク民族も約40%と多く住んでいて、タジク文化も混ざった文化色が豊かな街です。
ブハラは旧市街と新市街に分かれていますが遺跡などは旧市街にあり、観光エリアとしては、ラビハウズ周辺、タキ・ポイカロン広場周辺、サーマーニーズ公園周辺とに大きく分かれています。ほとんどが歩いて周ることができます。ブハラでは、街歩きをお楽しみください。
Contents
MUST TO VISIT
ラビハウズ
旧市街の中心に位置する池で、1620年に造られました。ハウズとは「池」という意味です。池の周りには緑の木々が多く木陰で涼むのには最適、多くのレストランやカフェ、公園なども並んでいます。
ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ
ラビハウズの隣にあり、偶像崇拝に反するイスラム教の教義に反しているイスラム建築の一つで、2羽の鳳凰と鹿、人面が描かれている非常に珍しいメドレセ(神学校)です。4~10月にはメドレセの中庭で民族舞踊のディナーショーが開催されています。
チョルミナール
ラビハウズから東へ歩いた旧市街の住宅街の中に位置します。「4つ(チョル)のミナレットという意味を持ち、青のタイルのミナレットの装飾がとても美しく、それでいて素朴な感じが魅力を引き立てます。
タキ・ザルガロン
16世紀に建てられた丸屋根の中のバザールで、中には外からの光が入り、当時は様々な民族の人々が宝石などの高価な専門店が並んでいました。現在は商店や工芸などの職人の仕事場などが並んでいます。
このようなバザール(タキ)は、タキ・ザルガロンの他、周辺にタキ・テルパクフルシャン、タキ・サラフォンがありますが、タキ・ザルガロンが3つのタキの中で一番規模が大きく、おみやげなどのショッピングが楽しめます。
ポイカロン広場
ポイカロン広場には、ミルアラブ・メドレセ、カラーン・モスク、カラーン・ミナレットが集まっています。
カラーン・ミナレットは、ブハラのシンボルでもあり、タジク語で「大きい光塔」という意味で1127年にカラ・ハン朝のアルスラン・ハンによって建てられました。隣のカラーン・モスクは1514年にシャイバニ朝によって建てられ、タジク語で「大きなモスク」という意味の通り1万人が礼拝できたほどの大きなモスクです。ソ連時代は倉庫として使われていましたが、現在もモスクとして、ラマダン期間などの特別な時に礼拝が行われています。
カラーン・モスク向かいのミルアラブ・メドレセは、1536年に建てられた美しい青のドームが印象深いイスラム教義を学ぶ神学校です。ソ連時代に開校を認められていた希少な神学校で、現在も試験で選ばれた学生が寄宿して神学校として使われています。
ウルグベク・メドレセ
真の教育施設を作りたいことを目標に、ウルグベクによって15世紀初めに建てられました。現存する中央アジア最古の神学校として知られています。ウルグベクゆかりの建築物は、サマルカンドを中心に残っていますが、ブハラで残っているのは、このウルグベク・メドレセのみです。
アルク城
2000年以上前からこの辺りは古代ブハラ発祥の地と言われていますが、1920年にソ連軍に破壊されてブハラ・ハーンが滅亡するまで、歴代のブハラ・ハーンの居城だったアルク城は、13世紀にチンギス・ハーンによる破壊などを受け、その後再建と破壊を繰り返し、現存している城は18世紀のものです。約4haの広大な城内の敷地の中には、一つの街が作られていました。
ボロハウズ・モスク
アルク城の向かいにあり、ブハラ・ハーン専用のモスクとして、1712年に建てられました。お祝いの日などは、アルク城からボロハウズ・モスクまで絨毯を敷いて、そこをハーン(王)が歩いていたとも言われています。クルミの木に彫刻した20本の柱や、赤や緑など色彩鮮やかな柱や天井などの装飾も美しいです。現在でも実際にモスクとして使われています。
イスマイル・サーマーニー廟
サーマーニー公園内にあり、中央アジア最古のイスラム建築です。9世紀の終わりにイスマイル・サーマーニーが父親のために建て、イスマイル・サーマーニーの父、本人、彼の孫が、廟に眠っています。チンギス・ハーンによるモンゴル来襲の時、この廟は土に埋もれていたため破壊を免れました。その後、1925年にソ連の考古学者によって発掘されました。レンガの積み方だけで様々な模様を表現し、廟の内部ではその映し出された陰も見応えがあります。
チャシュマ・アイユブ
チャシュマ(「泉」という意味)と「旧約聖書の預言者ヨブに由来し、「チャシュマ・アイユブ」と名付けられました。水不足で苦しんでいた時、ヨブがここを杖で叩いたら泉が沸き上がったという伝説があります。14~16世紀に徐々に建てられ、今でも中の泉では、水が湧き出ています。
ブハラ郊外
ストライ・マヒ・ホサ宮殿
「月と星の宮殿」という意味を持つストライ・マヒ・ホサ宮殿は、別名「夏の宮殿」とも言われ、ブハラ・ハーン最後のハーン(王)、アリム・ハーンによって建てられました。ロシアの建築家と地元の職人と合同で建設が進められたため、東洋とロシアの雰囲気がミックスしたような内装です。展示されている調度品は、東洋と西洋のものが飾られています。
バハウッディン廟
中央アジアの人々にとっては、メッカに次ぐ聖地とされていて、巡礼者が常に訪れています。14世紀の聖人でイスラム神秘主義ナクシュバンディ教団の開祖バハウッディンが眠っている霊廟です。女性用のモスクもあります。また、ウズベキスタンでのパワースポットとも言われています。