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ヒヴァ / Khiva

エリア / Area

首都タシケントから西約1000㎞、ウルゲンチから車で約30分のところに位置する、アムダリア川下流のオアシスの街です。「太陽の国」と呼ばれるホラズム中心の都市で、ホラズム地方独特の文化を持っています。そして、ホラズム州で唯一のイスラムの聖地になったヒヴァは、8世紀には既に街があったとされています。19世紀に、ヒヴァの街は外敵の侵入から守るために全長約6kmの外壁と内壁の二重の城壁が作られ、外側と内側の城壁の間に人々は暮らしていました。その内側の城壁に囲まれた内城は「イチャンカラ」、外側の城壁は「ディシャンカラ」と呼ばれています。ヒヴァの中心はイチャンカラで、宮殿やモスク、メドレセ、霊廟などが建てられています。まるで街全体が博物館のようなイチャンカラは、徒歩でゆっくり楽しめます。
ホラズム地方の伝統料理「シュビット・オシュ」は、ヒヴァで食べることができます。シュビット・オシュは、ディルなどのパクチーなどの香草を練り込んだ緑色の麺の上に具を盛り付ける料理で、日本人の口にもよく合います。

MUST TO VISIT

イチャンカラ

チャンカラは現在もほぼ当時のままの状態で残っており、城内イチャンカラを歩いていると、まるでイチャンカラ全体が博物館のような都市であるようかのことから、「博物館都市」として1990年に世界文化遺産に登録されました。オタ・ダルヴァザ門(西門)がイチャンカラの玄関口とされています。

カルタミナール

西門を入ってすぐ最初に目に入る鮮やかな青のタイルで覆われた未完成のミナレットです。1852年に着工したものの、建設を命じたムハンマド・アミン・ハーンが1855年に亡くなると、工事は中断され、現在もそのままになっています。昼は太陽の光があたり美しい青が輝き、夜はライトアップされ、昼とは違った青の美しさが楽しめます。

ジュマモスク

ジュマモスクとは「金曜モスク」という意味で、イスラム教では毎週金曜日の礼拝が重要だとされているため、その名前がつきました。また、多柱式建築で、中央アジアでは最も有名なモスクの一つです。10世紀に建てられ、現在の形になったのは18世紀末頃で、213本の柱が約3m間隔で建っています。それらの柱には彫刻が施されており、その彫刻はすべて異なります。薄暗い中に差し込む日の日の光が柱の彫刻に当たり、神秘的な雰囲気が演出されています。

イスラム・ホジャ・メドレセ & ミナレット

1910年に、ヒヴァ・ハーン最後のハーン(王)、イスフェンディヤル・ハーンの大臣イスラム・ホジャによって建てられたことから、その名前がつきました。メドレセにありタイルの装飾が特徴的なミナレットは高さ約45m、ヒヴァで一番高く、内部には118段のらせん階段があり、それを登るとイチャンカラが一望できます。

パフラヴァン・マフムド廟

毛皮職人・詩人・哲学者という様々な顔を持ち、聖人として尊敬されていたパフラヴァン・マフムドが眠っている霊廟です。中庭には泉が湧き出し、霊廟内は鮮やかな青のタイルで一面覆われていて、青の美しさがとても印象的です。

クフナアルク

「古い宮殿」という意味のハーンの宮殿だったクフナアルクは、17世紀に建てられました。城壁で囲まれ、城壁内はハーンの公邸、モスク、ハーレム、火薬工場や造幣所もありました。中庭のモスクには青・緑・白の細かい模様のタイル、アイヴァンの天井には赤・黄・緑・黒などの模様で、美しく施されています。アクシェイフ・ボボの見張り台は、ヒヴァの全景が見渡せ、サンセットの景色は特に人気です。

タシュハウリ宮殿

1830年代に建てられ、豪華なタイルや装飾などが美しい宮殿です。
ハーンの執務室と4人の正妻の部屋があり、中庭にはユルタ(遊牧民のテント)も建てることができました。柱の彫刻も素晴らしい遺産です。

新市街

2018年にヒヴァ駅が開通し、タシケントからでもヒヴァまで夜行列車が使えるようになりました。イチャンカラ東側一帯が新市街として現在開発中です。新市街にあるヒヴァ駅からイチャンカラまでは約1.5kmと、ヒヴァへのアクセスがだいぶ良くなりました。

【動画】ヒヴァ・バフシ


ヒヴァのイチャンカラ。そこで生活する人々の様子や、ヒヴァのバフシ(叙事詩の語り手・吟遊詩人)が伝統音楽と共に歌う詩を、日本語字幕と共にお楽しみください。

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